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鎚金の達人/小島保彦
鎚金の達人/小島保彦
 

「師匠との出会い・・・」
小島さんが鎚金家になると決めたのは、若干18歳のとき。鎚金職人である父の背中を見て育った小島さんは、もともと幼いころから手を動かすことや、物を作ることが好きで楽しかったという。

<鎚金とは>

大学に進学して、鎚金を習得する方法も考えたものの、実際どの大学にも「鎚金」を専門に学べる環境がなかった。それならばと、父を師匠に鎚金家としての修業を積むことを決意。

五重塔
「父親であり師匠であることの葛藤は、自然存在しましたよ。ホントに厳しい人でしたから。自分に厳しい分、私にも厳しかったです。一度教えて見せた後は、二度と教えてくれません。後は、自分自身で習得することが基本でした。作業場に入ると、ほとんど口もきかず、ただ黙々と手を動かします。これがまた不思議でね。二人ですると、三人分の仕事が出来るのです。今では、一人でしなければなりませんがね。」と、笑顔で思い出をたぐり寄せながら話してくれた小島さん。
続けて、こんな秘話も。
「作業中は基本に忠実に、作業に集中しなければいけませんからね。常に、緊張しておりました。勿論、師匠と一緒というのもありますがね。しかし、作業場を一歩出ると、まぁ驚くほど人格が変わって優しくなるのですよ。あの変わりようには毎度毎度驚かされましたがね。」と、父であり師匠である存在を懐かしんでいる様子。

「名誉あること・好きであること」
昭和28年、初めて伊勢神宮へ納める御神宝創りに関わる。これは、天皇家から依頼であるため、まず、皇居の賢所へ運ばれ、天皇陛下がご覧になり伊勢神宮へ納められる。
伊勢神宮・馬
この名誉に触れることにより、この道へ進んだことへの誇りが高まる。そして、この仕事を続け御神宝を創るのは自分しかいないと確信。
昭和35年の日展での受賞は、小島さん個人の作品であったので、独り立ちを実感できるきっかけとなった。
この賞を手にしたときほど、嬉しかったことはないとのこと。そして、鎚金作りが好きであるからこそ続けられる、と感じた。
構想から始まり、パーツ作り、多数のパーツをまとめて一つの形有るものにする作業は、「焦らずにゆっくりと丹念に」をモットー。その信念は、現在に至るまでその作業配分は変えていないという。
「毎日コンスタントに作業をすることが大切ですね。そうでなければ、いいものは出来ません。長期戦ですから。それに、今は全て自分一人でしなければなりませんから、尚更です。『精進潔斎』。毎朝、風呂に入りそれから仕事場へ入る。それが、基本パターンです。」
と、お話を聞いている時も、穏やかな語り口が小島さんの作業に対する姿勢が伝わってきた。
金閣寺

技の継承・・・
鎚金の技の継承を大切にしたくなるのだが、実は、小島さんの技を継承する人物は今現在存在しないのが実情です。
「でも、仕方がないですね。時代の流れです。」と小島さん。
小島さんにも御子息がいらっしゃるそうですが、その道へ誘うこともしなかったそうです。好きでもないことを無理強いしたところで、よい作品は生まれませんから。
と、事実を事実のまま受け止めていらっしゃった。
最低10年?15年の修業が必要な伝統工芸職人の世界では、実際の所、後継者不足が最大の悩みであるようです。
しかしながら、例え後継者なく鎚金の技術が失われる時代が来ても、小島さんの残した数多くの作品はこの世に存在し、生き続ける。それは、日本国内に限らず世界各地に・・
アン王女 *御所車:昭和天皇がイギリスのアン王女の結婚式のお祝いに贈った香炉。
通常1キロ程の重量があるものを、500グラムという軽量にするために、糸鋸で丹念に模様をくり貫く作業は、時間と高度な技を要求されるが、小島さんならではの持ち味。
映像資料はこちらから   映像(1)映像(2)映像(3)
取材・文 下瀬 文

小島保彦(こじま・やすひこ)
鋳金家 

<プロフィール>