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岩石鉱物が好きだった青年は、戦前は鉱山冶金(やきん)の学業を学び、旧満州熱河省の金属鉱山にて、金銀銅などの地下資源の開発に携わる。戦後は博物館で鉱物の仕分けなどを手伝い、のち別業種の務めにて、不安定の戦後、建て直しに努力する。50歳過ぎより本格的な陶芸の活動に入り、各種の美術展に入選するまでになる。

■ 「陶芸」の「技」の過程
陶芸の基本はまず粘土を形づくる成形という作業。これが一番難しく、無心の境地で作陶できる努力がいります。一年を通して春夏秋冬などで粘土の性質は変わり、これらの対応策が難しく、呑込むのには何年もかかります。これらは主に手で覚えるそうです。何年かすると粘土を触っているだけで、成形できる状態の可否が分かるようになります。最初の頃は粘土の性質を理解していなかったため、真夜中までかかったりしたこともしばしばだったそうです。実は秋が一番やりやすいのだが、粘土の性質を春夏秋冬を通して呑込めれば、思う形ができるとのことです。
この成形をしてから20日間ほど乾かした後に素焼きの作業に入ります。これは6時間ほど0℃からゆっくり800℃まで温度を上げて焼くことである。
2日ぐらい後に、釉薬(ゆうやく)を塗る作業に入ります。7日程乾燥してから、1250℃前後で再び10時間ほど焼きます。この作業は色つやを出し、割れにくく丈夫な器にするためです。
加藤さんはここで、古くから使われている3種類の鉱物しか使わないというこだわりを示す。3種類とは鉄、銅、長石。
鉄は地球上でもっとも多い成分で、どこを掘っても出てくる。鉄は黄色や茶、黒などの色を出すという。これが鉄釉。銅は緑になり、これを緑釉もしくは織部釉という。長石は白くなり、これを長石釉という。
これらを組み合わせて色の変化を求めていきます。この釉薬にも適性温度があり、10℃違っても成功しないという。


■加藤さんのこだわり
加藤さんはろくろを一切使わない、昔からの方法で全て手びねりである。2つと同じ物にならないからで、ちなみに手びねりは無心の境地になり、時には食事を忘れるぐらいになります。邪念がなくなり、まさに真剣勝負の世界だそうです。


■ 陶芸の豆知識
昔は赤松林の山があって、粘土があるところに釜場があったと言われている。赤松は、高い温度を出すのに適していたからです。
はにわの時代からあった日本の陶芸の技術が劇的に進歩したのが、豊臣秀吉の朝鮮出兵。このときに関西の大名が朝鮮半島の優れた陶工をたくさん連れてきて、日本に高い技術が入ってくる。ちなみに日本に連れてこられた陶工が根付いたのが関西や九州だったため、西日本の陶芸は大変進んでいましたが、近代化した現代は窯業(ようぎょう)の機械や釉薬の技術が進歩して美しい焼き物ができるようになり、格差はなくなったという。


■加藤さんがこの仕事をやってて良かったこと
実は加藤さんが作って気に入るのは10個から20個に一個ぐらい。これは商売としてやっていないから言えるそうですが、第三者に誉めてもらうよりは自分で自分を誉められる作品のほうがいいという。釜出しの瞬間、ハッとすること。自分の思うような、心に描いた通りの物ができていたときが一番嬉しいとのことです。


■陶芸をやりたい人へ
師匠には「焼き物は教えませんから、盗んでください」と言われる。この通りで、焼き物は教わって覚えるものではなく、仕事は盗むしか覚える方法はない。道具なども買うものではなく、自分が必要に応じてつくるもの。仕事も道具も見て盗め、が信条。
陶芸は絶対、飽きずに諦めないこと。何回も失敗するが、それでも一回一回を真剣勝負とするその気持ちがあればできる。まず第一は、この仕事に惚れこまないと駄目で「伝統工芸は維持するために守れ」と言われても、これだけは教えられないもの。粘土が自分の思うように言うことを聞いてくれるまで3年は掛かるものだから、生半可じゃやれない。ちなみに加藤さんの第一の道具は指であり、爪の長さまで常に調節しているそうです。
加藤さんにとっての陶芸とは、一番愛せる仕事とのことです。その理由はずばり、無心になれるから。82歳とは思えないおじいちゃんの、元気の秘訣でもあるかもしれませんね。
 
映像資料はこちらから   映像(1)映像(2)映像(3)
 

加藤吉美(かとう・よしみ)

○大正1111年 東京都北区王子生まれ(82歳)
○陶歴25年
○各種美術展入選
○東京都北区岸町2‐4‐7
○TEL:03‐3900‐4891

〜 「生涯一作」が座右の銘 〜