■ この仕事をはじめたきっかけ
森さんが小学5年の時に、べっ甲職人だった父と共に長崎から現在の北区へ。父の影響を受け、小さい頃からべっ甲を磨いたりして仕事を手伝っていたのだが、青年の時は必ずしもべっ甲の道に進もうとしたわけではなかった。しかし2,3年のサラリーマン時代を経験しても、手先が器用で物造りが好きだったため、自然とべっ甲の道に入っていったという。元々は北区東十条にべっ甲の作業場兼お店を構えていたのだが、物造り一本だけを目指して店を引き払い、昭和40年頃、現在の神谷に作業場兼自宅を構える。
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■ 一番苦労している点
べっ甲の技術で一番難しいのは、貼り合せだという。べっ甲の製品というものはそのほとんどが一枚から作られているわけではなく、たいていは2枚か3枚を重ねて造るもの。
この重ね合わせが最も技術を要し、神経を使うところという。重ね合わせの時に熱と水と圧力で接着させるのだが、失敗するとあとで割れ目ができるからである。またバラフと呼ばれる白と黒の模様がばらばらに付いている素材は、巧く重ね合わせないと黒だけになり、模様が死んでしまうのである。
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■ 製造しているべっ甲製品
森さんは基本的にはべっ甲製品ならなんでも造れるのだが、昔の三味線のバチや櫛や簪など「和物」と呼ばれるものは、最近需要が少なくなってきているという。元々森さんは長崎系のべっ甲職人で、製造工程や工具も長崎系。東京では眼鏡の縁の職人が多いのだが、長崎べっ甲はアクセサリー関係が多い。そこで、森さんは現在、オリジナルのアクセサリー類にも挑戦している。べっ甲に金やプラチナをゾウカン(パーツをべっ甲に埋め込むこと)にしたイヤリングやネックレス、ペンダント、ブローチなどを独自に開発している。デザインは自分ですることもあるが、デザイナーに頼むこともしばしばある。
「べっ甲の性質を知らずに、造りやすさや壊れやすさを無視して、逆に面白い製品が出来あがる。」
素材が地味なため40代以後の女性にしか受けなかったべっ甲の製品だが、今は若い人にも受け入れられるような製品をも目指しているという。また余った素材を使って、耳掻きなども造ったりしている。
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■ べっ甲豆知識
「タイマイをはたいて、買う」という言葉が現在も残っているが、このタイマイとはべっ甲の材料の亀のことである。ちなみに現在もある「べっ甲飴」や「べっ甲寿司」は、べっ甲と似ているから付けられた呼び名。べっ甲色とはべっ甲のように黄色いことであある。またべっ甲は漢字で「鼈甲」と書が、この鼈という字はスッポンという字である。これは江戸時代に出された贅沢禁止令により、当時の職人が「これは高価なタイマイではなく安価なスッポンですよ」と誤魔化す為の当て字だったのが、現在にまで伝わった為だという。べっ甲はまた「頭に付けると頭の熱を取る」と言われ、血圧の高い人には向いているのである。
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べっ甲はもはや材料が手に入らない為、若い者に技術を伝えたくても、将来に渡って造れる保障がないのである。現在でも同じ模様のべっ甲製品を大量に作ることは難しくなってきている。森さんは弟子を取ることはしないが、それでも習いたいという人の為に、一年に一回のセミナーの講師をしたり、プライベートで教室の先生をしたりしている。べっ甲の技術を学びたい、興味があるという人は多く、森さんはこれからも何とか技術を伝えてはいきたいという。満員電車を嫌い、定年がなく、時間も自分でコントロールして都合が付けられる今の仕事が大好きだと、森さんは語った。
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取材・文 岡田 俊秀
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