| ●達人TOP/●まちを元気にする達人への思い/●達人一覧表/●達人エントリー/●達人のStaff/●達人の輪 |
|
<<< まちを元気にする達人たちFILE016 藤本美奈子 >>>
|
|
||||
![]() |
![]() |
||||
|
|
|||||
|
現在から遡ること20年前、初めて着物の糸をほどき洋服を作ってみた。一度も袖を通されることなく、箪笥の奥に眠っていた着物を、形を変えて絹の良さを生かし、また、自分らしさを組み入れることが可能な洋服として蘇らせたのだった。
それが、藤本流着物リサイクルの始りである。 |
|||||
■わび・さびの心 日本の絹織物は、わび・さびの心が息付いている。特に、模様と色使いは他の国々には見られない美しさがある。 大正末期から昭和初期の作品を特に好んでおられる藤本先生曰く、羽裏や着物のすそ模様に上品さが漂っていると。表は真っ黒でちらりと見え隠れする羽裏に贅沢さと心のゆとりが「わび・さび」の真髄をよく表しているという。 その隠れた部分、いや、隠された部分と言いましょうか、その部分の模様と色使いがとても素敵なのですよ、とおっしゃる時の藤本先生の顔が活き活きと輝いていたのが印象的である。 もともと、藤本先生のお母様が和裁をしていた関係で、幼いころから着物に親しんでいた。その当時、越後の方から反物を担いでやってくるおじさんがやってきては、親族が藤本先生の家に集まって品定めをしていた。 その度に、「奇麗だなぁ。」と思いつつも「これをどうにか洋服に出来ないかなぁ」と内なる声が囁いていた。 |
|||||
| ■洋裁との出会い お母様が和裁をしているところを見て育った故、自然、和裁へ進むかと思われたが何故に洋裁への道を歩まれたのか・・・ 何と、理由は藤本先生が左効きだったため、お母様が右手で教えるときになかなか上手く行かなかったから、だとか。 元来、和裁も洋裁も同等に興味があり好きであった藤本先生。そして、何よりも創ること自体が楽しくて仕方がない、と感じていたので洋裁へ進んでも情熱は衰えることがなかった。 銀行員であった藤本先生は、銀行の洋裁倶楽部に参加する。 そこでは、終業後の数時間を仲間達とわいわい楽しく過ごしながら、自分の好みの洋服を創り出していた。 その時点で、自分で着る洋服は全て手作りであったというから、既製品しか身に付けたことのない私にとっては、魔法使いの世界である。 しかしながら、それだけでは何かしら物足りなさを感じ始めた藤本先生。 次なる行動は・・・ 製作手順としては、まず、生徒さんの選んだ着物からどの部分を効果的に生かし、そして、生徒さんの完成イメージに近づけるように、先生の頭の中でパターン(製図)化することから始まる。 |
|||||
|
取材・文 下瀬 文
|
|||||
|
|
|||||
|
|
|||||