| ●達人TOP/●まちを元気にする達人への思い/●達人一覧表/●達人エントリー/●達人のStaff/●達人の輪 |
|
<<< まちを元気にする達人たちFILE027 下 信行 >>>
|
|
|||||||||
![]() |
![]() |
|||||||||
|
|
||||||||||
| 幼い頃、近所にいた模型好きのお兄ちゃん…。一回だけ、そのお兄ちゃんの部屋を訪れたことがあった…。そこには、たくさんのありとあらゆるプラモデルが飾ってある。綺麗に色づけされた戦車やロボット…。まだ未完成の飛行機…。小学生の私は、内緒で別世界を訪れた様なドキドキ感に包まれていた。小雨がぱらつく中にお邪魔した、北区は浮間にある「しも絞り製作所」。大好きなラジコンカーの話に夢中になる下信行さんの姿に、幼い頃の模型好きのお兄ちゃんの姿が重なった…。 |
||||||||||
| ■しも絞り製作所=へら絞りの製作所 有限会社しも絞り製作所は、金属板金へら絞りを行っている製作所。信行さんの父さんの代から始まった製作所だ。当時は主に、やかん絞りをしていたという。「へら絞り」…。ご存知でしょうか?恐らくほとんどの若者は「へら絞り」を知らないんではないか?恥ずかしながら、私もその一人だった…。まずは本題のラジコンマフラーの話の前に、簡単ながら「へら絞り」について触れておきたい。 ■「へら絞り」について…。
|
||||||||||
|
■日本唯一のラジコンカーマフラーの開発者
「ラジコンみたいでしょ?とりあえず移動しようか…」。と、下さんはすぐに工場から自宅へと誘ってくれた。ガレージに入るとたくさんのラジコンカーのコレクション。そして、ここにもなんと開発・研究のための作業机。仕事を終え、帰宅してからもラジコンカーからは離れない。 |
||||||||||
|
||||||||||
| ラジコンカー、と言ってもおもちゃ屋でよく見かけるあの品物ではない。電動バッテリーではなく、ガソリンで走る本格的なラジコンであって、専門店でないと手に入らないので要注意。速度はなんと、時速100キロ以上も出るというのだからびっくりだ。下さんは、そのラジコンカーのマフラーの日本で唯一の研究・開発者。 |
![]() 【マフラー】 |
|||||||||
| ■「道楽」がこうじて… 根っからのラジコン好きを自認する下さん。中学時代から「ラジコン少年」だった。当時は、飛行機や船を夢中になって作っていた。「キットは買ったけど、なかなか作れない人が多い。だから、模型屋さんでラジコン作りのバイトをしていたんです」。そして高校卒業後は、実車のメンテナンスに携わることに。実家の仕事が終わってから、夜中までの時間に働いていたという。その時期にちょうど、先に触れた「ラジコンカー」が世に出回り始める。当然下さんはそれに夢中に。そして、そのマフラーを自分で作ってしまおう、ということになった。「そもそもそのマフラーってへら絞りで作られてたんですよ。当時はイタリア製が出回っていて、価格は1万円以上したんです…。だったら、自分で作ってしまおうと…」。ラジコン少年であったからこその「こだわり」が重ねられた…。下さんは、どんどん高性能なマフラーを作っていく。そして今となっては、ラジコンカーマフラーのシェアにおいて、しも絞り製作所は日本一を誇る。 |
||||||||||
| ■苦労と悩み…。 「苦労なんてそんな…。ラジコンは趣味で本当に道楽だから、いくらやってても苦にはならないんですよ。ただ、悩みと言えば、仕事がないこと。マフラー以外の仕事が少なくなってるんです」。マフラーがしも絞り製作所の売上の多くを占めているのが現状だ。「マフラーが仕事になり始めたころは、『こりゃ儲かるぞ!』って思って(笑)。だけどそこから、バブルがはじけて、何とかマフラーで仕事をとらなきゃ!と更に難しい研究と開発を重ねたんです…」。下さんは、困難を極めるアルミの溶接によるマフラーの製造を、血の滲むような努力を重ねることによって、乗り越えていき、次から次へと高性能マフラーを生んでいく。注文の声は広がっていった…。 |
||||||||||
|
||||||||||
| しかし、マフラー以外の仕事が少ないのは変わらない事実だった。「(マフラー以外の仕事は)職人一人分の仕事しかない。うちに20年以上いる職人が、マフラーを磨いているんですよ…」。下さんは少し淋しそうに、そう付け加えた。手に渡された小さなマフラーが、ずっしりと重く感じた瞬間だった。 |
||||||||||
| ■「夢」は自社ブランドの立ち上げ 夢は?との問いに…。「自分たちでエンジンを作ること。ラジコンの命はやっぱりエンジンだから。マフラーは、日々進化するエンジンを追いかけて開発・研究をするのが宿命。だから、自社エンジンの製造に憧れるんです」それが、どれだけお金と人と手間がかかることかを説明しながらも、下さんはイタリア製のエンジンをうっとり見つめながら大きな夢を語ってくれた。そして、「海外進出」。これは、ごく最近に実現した。アメリカへ向けて、しも絞り製作所のマフラーの輸出が始まったのだ。「アメリカは単純に、ラジコン人口から比較してとても魅力的な市場なんです…」。先に触れた様に、日本のへら絞りの技術は世界一の水準。これに、下さんの「こだわり」がプラスされたマフラーが海の向こうへどんどん渡っていくのは、疑いようのないことだ。 へら絞り屋に生まれたラジコン少年。少年が大人になる頃に、ラジコンカーが世の中に走り出す。そのマフラーはへら絞りで作られていた…。時代の大波が、必死なマフラー開発・研究へと導いた。そして、世界へー「へら絞り」。古くから日本が育て上げた、誇るべき一つの「技術」。 それは時代の流れにカタチを変えながらも、力強く海を渡り、世界中へ羽ばたいていく…。しも絞り製作所に、大きな一つの「技」の歴史を垣間見た気がした。 |
||||||||||
![]() |
||||||||||
|
取材・文 栗山 宗大
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
下 信行(しも・のぶゆき)
○職歴:有限会社 しも絞り製作所 専務取締役 |
||||||||||
|
|
||||||||||