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<<< まちを元気にする達人たちFILE028 深作 操 >>>
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| 「ドルショックはひどかった…」。深作さんは何度も噛みしめながら、そう語った。 「終わりだと思った…」。飲めないウィスキーにコーラを溶かして始めて飲んだ。 くたびれた仕事着のまま、眠れぬ夜をやり過ごしたこともある。 株式会社大栄製作所。 |
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| ■創業まで 北区は昭和町に訪ねた、大栄製作所の本社。迎えてくれた深作さんは、柔らかな暖かい印象の持ち主だった。1930年(昭和5年)生まれの73才。まずは、「ものづくり」に関する思い出を聞いてみる。「小さい時から時計を分解して組み立てたりとか、とにかくもの作りが大好きでした」。 戦後すぐまもない頃、工業学校の機械化を卒業したのち、外資系の輸出商社へ勤めていたが…。「結局は外資系。いつ引き払うか分からない…」28歳で結婚を機に、独立への道へと向かった。倒産した下請け工場を引き取って、荒川区で給排水器具の専門メーカーとして操業を始めた。3年後に本社を北区へ。さらに3年後父親の郷里である茨木県に、大量方式の生産工場を設立した。
深作さんは鋳物のイロハから機械加工、バフ・研磨、組み立て・加工まで、全ての技能を身につけた。当時の職人は、後ろから見て覚えろ!というタイプが多く、苦労をしたと言う。「中小企業の経営、とくに製造業は現場の技術をマスターしないと絶対にできません」。深作さんは、技能習得と同時に経営面での先見性も発揮。輸出商社の経験を生かして海外市場で大成功を納めたのだった。
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■生き抜く知恵
それは突然のことだった。1971年(昭和46年)のドル・ショック。1ドル360円時代の終焉だ。海外市場で成功を収めた輸出産業である大栄製作所にとって、それはあまりにもショックが大きかった。「いつ会社をやめると言ってもおかしくない情況にまでなりました…。1ドルのレートが、一瞬にして半分以下になったのだから…信じられなかった…」深作さんは大規模リストラから、ありとあらゆる合理化を図ったが、為替差益の増大、そしてオイルショックによる国際経済環境の悪化、更にはバブルの崩壊が襲った…。 道はないのか…。必死に模索を続けた結果…。深作さんは、発想の大転換をした。 ■最後に、若者に向けての言葉を頂戴してみた。 |
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取材・文 栗山 宗大
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深作 操 (ふかさく・みさお)
○職歴:株式会社大栄製作所会長 |
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