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木製写真機の達人/立原道夫
木製写真機の達人/立原道夫
 

 

カメラというと「レンズ付きフィルム」や、今はカメラ付き携帯電話は当たり前という時代。しかし、アナログカメラには絶対かなわないもの、それは「画素」。立原さんの左側にみえる光る物体これがレンズなんです。今回は、世界中から注文がくるという、木製カメラの制作現場にお邪魔しました。
立原道夫さん
【立原道夫さん】

■ 戦争時-戦後の混乱の中から…
戦後、疎開先の栃木より北区へ帰ってきた頃は、見渡す限り焼け野原で何もなくなっていたそうです、その中にお父様が小屋を立てられたのですが、それこそ何も建物がないので、台風が来たらふにゃっと飛んでいきそうな、感じだったそうです。

戦争当時、上野の御徒町の自転車屋さんに爆弾が落ちて、見に行くと吹っ飛んでいた。家の陰も形もなかった。銀座の松坂屋のガラスが、爆弾のせいで溶けて、その上をお父様は歩いて帰られたのだそうです、今の時代の靴底は塩化ビニール系の化学合成の靴底ですが、その頃は馬の皮でつくられた靴だったので助かったのかも知れないと言ってらっしゃいました。


■学生時代
戦後、すぐに陣地取り合戦が始まり、杭を打ち縄はって自分の土地とすることは当たり前。そんな混乱の中で場所を確保しながら、先代のお父様はカメラを製造販売する仕事を切開かれたそうです。

学生だった彼は、朝、自宅の北区から神田(小伝馬町)まで自転車でよく配達しました。8時15分に始まるチャイムを耳にしながら、自転車置き場に放り込む、その後に一歩遅い牛乳屋さんが入ってくるという中学・高校を6年間送ったそうです。運動しなくても十分に鍛えられたそうです。


■従軍カメラマンへの夢
その当時はやる気なかったらしく、父親の「もの作りの環境」は次第に彼を「従軍カメラマン」への夢へと導いていきました。従軍カメラマンになりたいと願った立原さんは、仲の良い友人3人で写真学科のある大学を受験し合格しました。しかし、その同じ時に問屋がいっぺんに3軒倒産したその不渡りを受けてしまったそうです。断念せざるを得ない状況になり、友達に相談すると、一緒に行くはずだった友人は全員進学をやめたそうです。そのうちに、立原さんは先代から「技術」を引継いで仕事を始められました。


■職人の癖
渡り職人といって、そういう職人は腕が良いけど癖があるらしいのです。しかし、職人の技術がないと出来ない世界で、経営者として接する場合にご苦労されたそうです。


■いい材料の「木」を探す苦労
昔は木を確保するのにそんなに苦労は無かったが、様々な様式の変化に伴い、今の時代はいい材料が揃わなくなってきたそうです。

表彰状を指す平川氏
【塗師へ出す前のカメラ木枠】
 
■原木からやってる「木製カメラ」の制作手順

木地師→塗師→飾り→蛇腹→親方チェックがはいります。
親方(=棟梁みたいなもの)が全ての監督をします。

木製カメラの完成!
【木製カメラの完成品!】
(本当にため息がでるくらい美しい色と形でした。)

■ プロ用カメラを手にする方達
バブルから11年。40〜50歳代で趣味の方にお金を使う定年退職前のいわゆる中年若手が今までは大きなターゲットとして売れていた。しかし、現在リストラがあり…40歳代も仕事に明け暮れる。なかなかそういった世代も余裕がないのか、難しいとのことです。

デジタルはモノクロの階調(ハーフトーン)が出ない。しかし、アナログカメラの今の表現の先端はモノクロセピア調に移っているらしいです。立原さんは「微妙な色の濃淡の面白さがあるんです。」と言われた。デジタルでは限界がありますからね。もちろんプロのカメラマンからアメリカ、イギリス、フランス、スイス、ドイツ等からひっきりなしに注文があります。

しかし、中国は一台買って必ず「マネ」をする。そして次の年には新作として出してくる、そう聞くと本当に凄いスピードで吸収しているのだなぁと驚きます。でも立原さんの凄いところは、絶対手を抜かない仕上げが素晴らしく美しいそして低価格ということが、誰にも「真似」できないとこでないかなと思いました。

レンズ 【大判、風景やポートレートなどを撮るレンズ】
(顔の大きさくらいある)

■次世代に伝えたいこと
昔の人は教えないで10年という中で技術を盗めと良く言いましたが、今は経過3-4年辛抱すれば覚えられます、是非「モノ(カタチ・道具になってくる)を作る楽しみ」を知って欲しい。そしてモノを0(ゼロ)の世界からどんどん化けさせる。「モノ」とは、作る感性と努力がないと完成しない。紙の上だけでなく、形にするということを大切にしたい。と立原さんは言われました。

50万円の仕事ができる人に30万円の仕事をお願いしても、50万円の仕事をしてくる。しかし、30万円の仕事しかできない人に50万円の仕事を頼んでも30万円の以上ができるとは限らない。

機械

■選択するということ
判断材料を与えるのが親であって、決断は本人にさせる。自分で選んだ道が最高の道だと思って、打ち込めという面白く無いといから「ヤメル」ではなく、とことんやってみるという事も大事な事であると思うんです。と立原さんは青少年の教育にも力を入れていらっしゃるとのこと、様々な一面を見れました。

表彰状 立原氏

取材・文 福田 理恵


 
立原 道夫(たちはら・みちお)

○昭和13年10月29日 千代田区神田生まれ
○職歴:46年(2003年12月現在)
○役職:有限会社タチハラ写真機製作所 代表取締役
○〒114-0003 東京都北区豊島3-17-8
○TEL: 03-3911-1794/FAX: 03-3914-0911