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   和菓子の達人/市村孝一  和菓子の達人/市村孝一  

   菓子司「草月(そうげつ)は昭和5年市村さんの父・宇一さんが創業。宇都宮の尋常小学校を出て「東京へ行きたい」の希望で上野の和菓子屋へ丁稚奉公。修行20余年、此の地に下十条駅(現・東十条駅)が創設されることを知り開業した。
昭和27年 草月   現在 草月
昭和27年 草月 現在 草月
市村さんの仕事始めはまずは6歳、年の暮れ、猫の手も借りたいこの時期、父親は息子に石炭くべを許す。当時、餅米はボイラーで蒸らしていたのだ。大人と一緒に夜遅くまで寝ないでいられる嬉しさに、一生懸命手伝った。「火の焚き方がうまいな」と父親に、坊主頭を良くなでられたという。
今考えると、これは父親の作戦だったのか、やがては和菓子一筋こそわが人生という、菓子職人へと成長してゆくのである。


■「和菓子屋を継ぐ きっかけは?」
坊主頭をなでられた親父の手の記憶、鉄腕アトム、それとヒロリンの一言でした。3月10日、B-29に一晩中追いかけられた翌日のこと、帰って来たら見渡す限りの焼け野原、荒涼たる焼け跡に、「鉄の巨人」のように餅つき機が一人立っていました。中学に入ってからは毎朝餅を一臼ついて学校へ行きました。
草もち
草もち
うぐいす
うぐいす
桜もち
桜もち

よく出来たもちつき機で、変速二段式、ひとうす3升の米を、320〜330回でつき上げます。暮れの貸餅(お客様が餅米を持参してお店がお金をもらって餅をつく)の頃はよく停電がありました。そうなると真っ闇な中、カーバイトの灯りを頼りに、臼と杵で人力でつきます。だんだん怖しくなります。このままでは注文がさばけません。そんな時パッ!と電気がついて「もちつき機」がウーと唸り出すとうれしくて涙が出ます。地獄で仏です。私の「鉄腕アトム」でした。若い頃ははよく創作菓子(?)を作りました。クリスマスの頃は和菓子のデコレーションケーキなども作り、ご年輩の方に人気でした。新宿のモンモランシー桜に洋菓子の見習いに行き、草月にケーキコーナーを作りました。すると幼馴染のヒロリンが言いました。「一人くらい友達にお菓子屋がいるって、いいね」これで菓子屋は決定です。 

きみしぐれ
きみしぐれ
その頃作った「春の訪れ」「レモン淡雪」「京の山」は今も御賞味頂いておりますが、今考えると若気の至りです。昔からある菓子の目先をチョット変えただけのものでした。高校を出てから3年目、父は画期的にも大学行きを許してくれました。条件は三ツ「昼は働き、夜学べ、経済学を」でした。
受験経験のない私はヒロリンに電話しました。彼は一言「お前の性格じゃ早稲田だね、馬場からバスで往復15円」昼は菓子、夜は学校、楽しい日々でした。卒論の頃になると全国菓子連合会に青年部を作る案が浮上しました。東京地区としては、各ジャンルの菓子組合から推薦された100名により東京菓業青年会が結成されました。副会長と広報を担当した私は和菓子組合に挨拶に行きました。するとそこには膨大な菓子に関する資料が眠っていたのです。これだ!菓子しか知らない私です。これに学んだ(?)経済理論をぶっつけて卒論にしちゃおう!!


初代作(梅)
初代作 (梅)
二代目作(松)
二代目作 (松)
三代目作(竹)
三代目作 (竹)

 当時、大福餅や饅頭は10円、きつねうどん25円、上生菓子も25円でした。池田勇人の所得倍増政策で収入は増えてきましたが、まだまだ菓子は嗜好品扱いです。小さい頃から菓子に接してきた私には、菓子は必需品です。1杯の「きつね」で大福と饅頭が買えるのです。25円上生菓子ならきつねの方が必需品でしょうが、懐具合が寂しいときはホカホカの大福餅や饅頭を2ヶ半も食べれば身も心も温かくなります。
所得の高いときは高級品のケーキや上生菓子を購入しても、低いときには安いものを買えばよいのです。経済学で言う、価格による代替作用、です。収入によって食べる物をいろいろ算段する事は、いつも私たちが家計の中でやっていることです。それが全国菓子消費の統計の中に見事に表れていました。生活の中で菓子は必需であるから、家計が苦しくなっても安価な菓子に替えて栄養を補うのです。人間の脳には1日120グラムのブドウ糖が必須だそうです。統計としては他に、若い頃には油性の高い洋菓子類を食べていた人達が、30才を過ぎると次第に和菓子を好むようになる。或は又、都市と地方、気温や湿度など、風土による菓子への消費性向の変化などがありました。

■ 「草月さんのお菓子について」

黒松
黒松
 私どもでは大別して並生菓子と上生菓子を作っております。並生菓子は言わば、ふだん着菓子で主に使用する原材料で季節感を出します。えんどう豆や黄奈粉を使った鶯餅、餅草(よもぎ)をつき込んだ草もち、桜や柏の葉の香りを楽しむ桜餅や柏餅、葛や蕨の根茎から採取した原料で作る葛桜や蕨餅があります。H19年度版の和菓子の暦には「和菓子を生み出す自然の恵み」と題して、12ヶ月の和菓子の材料となる植物の写真が菓子と共に掲載されております(弊社では新年1000部に限り置いてあります)
 一方、上生の方は進物、来客用、いわばよそ行きの菓子です。主に図柄で勝負です。お茶会用の菓子は、ご亭主の思惑や御道具と呼吸をあわせてデザインします。其の他、いわゆる生菓子でない棹物(ようかん)、干菓子、焼き菓子などがあります。売れ筋の焼き菓子に「黒松」があります。
鶴三代目
鶴 三代目
蜂蜜、黒糖を入れた皮は、ビタミン・ミネラルに富み、中のつぶ餡には老化の大敵、活性酸素を除去するポリフェノール、メラノイジンが多く含まれます。
 48年前、父の指導の下、二人して小さな仕事場で作った時は、そんな意識もなく、ただ「良い材料で、いい菓子を」の思いだけでした。、昨今、食の世界にも美容、健康、ダイエットが望まれています。その点、和菓子の素材は鶏卵以外、すべて植物性
朝顔三代目
朝顔 三代目
です。日本の美しい風土の中で、良質な食材を生産してくれる人達、それをつかって秀れた菓子を作る人達、そしてそれらを愛し味わう人達、縄文以来と言われる菓子の歴史の中には、食への知恵が沢山つまっています。だから日本人の心と体質に良く合います。DNAにピッタンコなのです。自然の恩恵と知恵と技術を見失うことなく、原材料を吟味し、過剰包装をさけ、添加物を加えず、ムリ、ムダ、ムラのない菓子作りを心掛けたいと思っております。そして都会では少なくなった日本の四季の風物を、その色と、形と、香りにのせて、皆様へお届けしたいと願っております。

 古来より日本の和菓子は、神事、季節、人々の生活と深く結びついて、日本独自の伝統的食文化を作って来ました。
元旦から始まって、五節句(人日1/7、ひな祭り3/3、端午の節句5/5、七夕7/7、重陽の節句9/9)春秋の彼岸、新旧のお盆、十五夜、新嘗祭、冬至、大晦日など暦と共に歩んできました。



 勅題についての説明
灯 光 橋
歌 姿 笑
 毎年新年には、天皇御出題の和歌の勅題が新聞紙上に発表されます。これに因み和菓子界も、勅題の和菓子を新年に謹製します。和歌の為の勅題には抽象的なものも多く、それは実際に食べる和菓子製作の表現能力を超えるので大変苦労します。

 1 灯 昭和32年製作
 2 光 昭和35年製作
 3 橋 昭和57年製作
 4 歌 平成 7年製作
 5 姿 平成 9年製作
 6 笑 平成18年製作






 干支についての説明
酉 午 戌
辰 未 巳
 新年には干支の菓子も作ります。干支は生年、方位、時刻を示し、日本では古くから親しまれています。しかし和菓子は美しさのみならず、本来食べるものですから、動物(子年、巳年)の図柄などに於いてはデフォルメが必要です。

 酉(とり年)平成17年製作
 午(うま年)  14年
 戌(いぬ年) 18年
 辰(たつ年) 12年
 巳(へび年) 13年
 未(ひつじ年)15年






 昭和21年から平成18年迄の干支と勅題
年号 干支 勅題
昭和21年 松上雪
昭和22年 あけぼの
昭和23年 春山
昭和24年 朝雪
昭和25年 若草
昭和26年 朝空
昭和27年 無し
昭和28年 船出
昭和29年
昭和30年
昭和31年 早春
昭和32年 ともしび
昭和33年
昭和34年
昭和35年
年号 干支 勅題
昭和36年
昭和37年
昭和38年 草原
昭和39年
昭和40年
昭和41年
昭和42年
昭和43年
昭和44年
昭和45年
昭和46年
昭和47年
昭和48年 子供
昭和49年
昭和50年
年号 干支 勅題
昭和51年
昭和52年
昭和53年
昭和54年
昭和55年
昭和56年
昭和57年
昭和58年
昭和59年
昭和60年
昭和61年
昭和62年
昭和63年
昭和64年
平成2年 無し
年号 干支 勅題
平成3年
平成4年
平成5年
平成6年
平成7年
平成8年
平成9年 姿
平成10年
平成11年
平成12年
平成13年
平成14年
平成15年 町・街
平成16年
平成17年
平成18年

 H19年は、勅題は 「月」 で、干支は 「亥」 です。

 ご期待ください。ありがとうございました。

 

 
市村孝一(いちむら・こういち)
○菓子司 草月 代表取締役(2006年現在)
○〒114‐0001 東京都北区東十条2-15-16
○TEL:03-3914-7530