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<<< まちを元気にする達人たちFILE051 山崎 俊彦 >>>
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■ZERO-INFINITY 現在、日本の電子工業は世界のトップランクに位置するほど高水準を誇っています。しかし、バブルの崩壊、急激な円高など、世界の政治・経済環境が激しく変動する中、エレクトロニクス業界も真の実力が試される時代になりました。 21世紀に向けて何よりも求められることは、最新の情報と正確な状況分析の中から生まれる斬新なアイディアと独創の精神ではないでしょうか。 今日のハイテク技術の進歩は目覚ましいものです。コンピュータや光通信等、エレクトロニクスの先端技術開発は人類の夢をのせた無限の可能性のある仕事です。時代の大きなうねりをエネルギーに変え確かな未来を創造しましょう。 (日川電機株式会社・会社案内パンフレットより抜粋) ■この仕事・この業界に関わったきっかけ 現在、70歳の山崎社長。40歳の時に、転機が訪れた。 きっかけは、その当時、組合運動が激しい時期だったため、仕事の依頼が激減した。 このままでは、仕事どころか信頼も失ってしまう。と感じた山崎社長は、その会社を辞職。 それまで、電子関係の営業を担当していた。電機業界のことも少しは分かるようになった。電子を売るノウハウは会得した。では、次に自分に出来ることは?挑戦できることは? 実際に自分で会社を設立し、電子部品を流通させることによって、「世界へ羽ばたく」という夢を叶えたくなった。 そして、日川電機株式会社を創業したのが1975年。 電機製品に組み込まれる部品のほとんどを、流通させ販売に持ち込む商社として、現在に至る。 また、1993年には、王子税務署より優良法人の表敬を受けている。 ■この仕事の魅力は何ですか? エレクトロニクスの業界は、まだまだこの先必要とされ、明るい未来であろうと思われる点。 そして、何よりも…「私が電子関係のことが好きだという点ですね。」と、山崎社長。 中学時代に手作りでラジオを作ったのが始まり。 このときの喜びが、やはり原点ですね、この業界に入ろうとした。 と、続けてくれた。 「高校時代は普通科に通ったんだけどねぇ。やっぱり、電気のことが好きだったのか、自分でよく勉強したよ。それに、やっぱり、物作りが好きだったねぇ。」 と、昔を懐かしみながらも、物作りというゼロからの発想を好んでいた一面を垣間見せてくれた。 また、電機業界では、様々な電化製品の開発が現在進行形で進められる昨今。 それに伴って数々の新しい部品が作られ、それを我々(日川電機)が流通・販売する。 つまり、少しでも世に貢献できていると感じる、その喜びでしょうね。 と、付け加えた山崎社長。 ■人間の想像力は無限… 家と車の技術開発は、平行して技術開発が行われているんだよ。 と、山崎社長がおっしゃったとき、私は何の事やら全く理解できなかった。 つまり、家庭で使われる電化製品と車に付随する数々の技術向上のヒントを与えあって現在に至るという。 車の窓は、昔、手動で開けていたが、現在は自動。ボタン一つで開閉が可能に。 ガレージのシャッターも、外からリモコンで指令を送り、電動で開閉するようになった。 このヒントによって、外にいながら風呂を沸かしたりするという、外から指令を送るという発想を電化製品にも与えている。 また、これからは益々デジタル家電に向かって行くと、それらの技術開発は面白みを増し、それに必要な部品の細分化も進でしょうね。 と、山崎社長は本当に電気のことが好きなんだなぁ、と強く印象付けられた。 それらの技術開発も、全ての元は人間の智恵と想像力そして、創造力が大きく加味していることは言うまでもない。 ■日川電機さんの代表的な製品は? 例えば、現在普及率が上昇中の製品についてお話しましょう。 と、全くもってエレクトロニクスには無知な私に向かって、丁寧に説明を始めてくれた。 「昔の電池を使った電機製品は、電池の残量が少なくなっていくと、だんだん音が薄れてきたり。シャッタースピードが遅くなったり、という反応を起こしていたのですね。しかし、現在の製品はそうではなくて。電池の残量が完全になくなったその時点で、ぱたりとその製品は動かなくなるのです。つまり、直流直流コンバーターと言って、電池残量が少なくなっても残量が有る間は電気を流し続ける半導体のこと。こういう半導体を販売しているのです。」
■この仕事の困難な点は? 「困難なことなんて無いですよ。」と、間髪入れず答えてくれたとき、私は何故かとてつもない安心感を覚えた。困難なことなんて無い、と言いきれる山崎社長を前に、今日はとても素敵な出会いをしたなぁ。と再認識した。 そして、続けて山崎社長は… 「根が好きですからね。やっぱり、好きだと実際のところ他から見て困難だと思われていることでも、そう感じないものなのですよ。それに、解決出来ない事はないと信じていますから。問題が起きても、努力さえすれば必ず解決出来るものですよ。」と。 会社を設立した当時の山崎社長のモットーは、今も変わらない。 「人に迷惑をかけない」ということ。つまり、作るなら潰れない会社を作ること。 流通業界は、関わる相手や会社・企業が無数に発生する。だからこそ、もしも潰れたらその迷惑を域は多大なものとなる。 では、どうすればよいか? 山崎社長の独自の発想であろう・・・「私は、人の反対をするのです。」と、唐突に言った。 「つまりですね。景気が良くて、利益も上昇中の時はあまり使わない。悪くなるときはどうしても来る。その時を想定して、景気が悪化したときの為の準備を、景気の良いときに始める。悪いときは良いときのことを考え、良いときは悪いときのことを考え、どうするか?ということを会社全体の流れを見て事を運ぶ。不況の時にこそ、お金を投資する。また、お金が無いなら無いなりに、工夫や勇気、そして、いいアイディアが出てくるものなのです。それは、この会社を創立するときに実体験として経験しましたね。」 と、山崎社長の先行した考えと非常に前向きな姿勢が、この会社を安定させている要因に違いない。 「昨日、ゴルフに行きましてねぇ。カートにぶつけて、こんな傷を作ってしまいましたよ。」 (ほっほっほっ)と、軽やかに笑いながら始まった今回の取材。 年齢などは証明書を発行するときに必要な数に過ぎない、と痛感した私。 それほど山崎社長は、本当に自分よりも若々しくエネルギーに満ち溢れていた。常に笑顔を絶やさない素敵な紳士が、今日の日本の電子業界を左右しているに違い |
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取材・文 下瀬 文 |
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