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<<< まちを元気にする達人たちFILE053 舘石辰雄>>>
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■東京銀器とは? 銀器とは、言うまでもなく金属の銀を材料とし、これを鍛金などの技法によって成形した花器や食器類の総称である。 舘石先生の作品では、成形した銀器の表面に、異なった材料の金属をロウ付けしてから、木槌や金鎚で本体に打ち込んで装飾する「打ち込み象嵌」という技術に特色がある。 本来「象嵌」という技法は、模様の形にくり抜き、あるいは削り取った所に、異なった色や材質の物を「嵌め込む」ことを言うが、「打ち込み象嵌」では、本体の銀器には彫り込みなどをせず、この上に直接、模様の形に別の金属をまずロウ付けする。「ロウ」とは、銀器の場合、銀・銅・亜鉛の合金のことを指す。これを用いて、いわばハンダ付けのように溶接することをロウ付けと言う。模様として用いられる金属としては、銅・赤銅・四分一などがある。赤銅とは、銅95%に金5%。四分一とは、銅3に対し銀1の、それぞれ合金である。これらの金属によって作られたパーツは、その材質や場所によって、何回かに分けてロウ付けされる。加熱して行われる作業のため、後から行うロウ付けは少しずつ低い温度で行わないと、前に付けたパーツが熔けて動いてしまう。小さな作品でも、7〜8回のロウ付けをすることがあり、回数が増えるほど、作品は変形しやすくなるので、その場合、最新の注意を払うことが要求される。(舘石先生保有パンフレットより抜粋)
■銀器との出会い・きっかけ 昭和31年上京と同時に弟子入り。 銀器が何かということすら知らなかった。俗に言う、集団就職である。それは、舘石先生に職の選択肢を与えはしなかった。それでも、職歴44年目を迎えた現在、この職業に出会えてよかったと思える瞬間はどこだろう? ■この仕事の魅力 やはり、完成したときの喜びは一入ですね。と、顔をほころばせて一言。それと、何かの展覧会に入選したときですね。と、笑声を交えて付け加えた。それは、達成感でもあり、自分の作品が認められた何よりの証でもある。全くのゼロからの創造の世界で、見るものを魅了させる何かを表現する。それは、例え数十年その道に携わった者が、全員可能にする技とは異なる要素が多分に含まれているに違いない。作家個人の感性と想像力の世界を覗くことは不可能である。だからこそ、作品にそれらが全て投影される訳である。実。
■この仕事の難しい所と魅力 何を創っても、どんなに試行錯誤を重ねても、一度として満足の行った作品は作り出せない点。 満足しないから、次への創作意欲が沸くんじゃないかなぁ。 それが、この彫金の魅力と難しさでもあるのかもしれないなぁ。 常に勉強。例えば、構図を練る段階でも、今までスケッチなんてしたことはない。だけど、必要に迫られれば自己流でも勉強をする。銀か銅のどちらかを象嵌するといっても、実際やってみないと全体のバランスの善し悪しが見えない。それは、経験だけど、失敗を繰り返してどちらがいいかわかるもの。 でも、答えは出せないだろうね。行き着くところまで行き着いて、満足した作品を作り出すには人生は短すぎるね。 と、言った舘石先生は、常に挑戦者であることを印象付けた。 ■作品が出来上るまでの簡単な手順 ピッチボールと呼ばれる台の上に松やにが載せられている。 その松やにをバーナーで温め、柔らかくした状態で彫る金属の板を載せる。 彫りと線象嵌(ぞうがん)の手法を実演してくれた。 彫りは、先の形が異なる鉄の棒と金づちを使って打ち出す。 彫り方には片切彫り・毛彫りなどの技法がある。 線象嵌は、彫ったその溝部分に、はがねを埋め込むこと。 なます、と言って、銀をバーナーで曲がるほど柔らかくして打ち込む。 また、象嵌では伝統的な色地金の赤銅(しゃくどう)や四分一(しぶいち)などを組み合わせる。平象嵌、線象嵌など日本の伝統的金工テクニックによって様々な作品が出来上る。 |
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| ■この仕事の難しい所 考案、デザインそして、切り口の確立ですね。 どういう作品にするか、という糸口を見つけ出すことに時間がかかります。と、舘石先生。まずは、形を考案し決定してから、柄・模様を考え作品にしていくのが、舘石先生の基本スタイル。常にアンテナを張り巡らせている。数々の展覧会に足を運び、自然の中を歩くときも街中を歩くときも同様に、色々な物に興味を持つこと。そして、そこから得たどんな小さい事柄も、気になればメモとして残す。 ■伝統工芸技術の継承について 人間国宝奥山峰石先生(平成7年師事)と共に、小学校に行って実際に体験教室を行っている。「小学生に限らず、金属に触れる機会もなければ、金属の板を叩くなんてことはないでしょう。そういうことを、実際にやってみて、まずは興味を持ってもらうことが大切なことだと思います。」と、小学生との体験教室の写真を見せてくれながら言った。 現在、舘石先生はお弟子さんを持ってはいない。技術の継承については、難しいだろうというのが率直な答えだった。「寂しいですね。」と、舘石先生。ただ、実際簡単なことではないから仕方がないのですけどね。この仕事だけで生計を立てるのが難しいし、自分自身と向き合う仕事ですからね。基本的には、楽しいと思える人でないと、なかなか継続していくのは難しいでしょうね。でも、無くなりはしないと思いますよ。この仕事に携わる人の人数こそ減りはするでしょうが、どこかで何かしらの形で継承されて行くでしょう。 実際に体験した小学生の中から、将来10年後あたり候補者が出ないとも限らない。 純粋に楽しんだであろう感覚を身体が覚えていて、この道に入ることを望む人が出た時・・・舘石先生の功績が数々の作品同様に認められることになる気がした。 ■舘石先生にとって銀器・鍛金とは? 平成7年、奥山先生に師事を始めて鍛金の世界に入る。それまでの、銀器の世界とは全く異なった為、「楽しい」という感情が先に立った。その感覚が無くなったら、きっと仕事に集中出来ないでしょうね。と、静かに語った舘石先生。 楽しいということは、真剣に取り組めば取り組むほど、意味が深く成っていくような気がした。楽しめる仕事に変えて行ったのは、舘石先生自身であり、その過程は秋田から上京した当初から現在に至るまでの舘石先生の軌跡であろう。そして、これから先も、変化を求めながらも基本姿勢に忠実に作品作りに励む気がした。 |
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取材・文 下瀬 文 |
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