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<<< まちを元気にする達人たちFILE054 月尾 正之 >>>
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東京北区田端に与楽寺坂という急坂がある。以前この界隈には、小説家の芥川龍之介や画家の岩田専太郎が住んでいた。芥川の書簡に「田端はどこへ行っても黄白い木の葉ばかりだ。夜とほると秋の匂がする。」とある。現在は閑静な住宅街といったところだ。与楽寺坂の中腹にお住まいの漆工芸の蒔絵師、月尾正之先生を訪ねた。 ■序 昭和7年1月東京都世田谷に生まれる。4歳の時に田端に移り住み、田端に育つ。中学生の頃から、父親の慶水先生に師事。「高校生までは学校から帰ってきて、手伝いという形で少しずつ仕事を覚えていきました。」 しかし、高校を卒業したのは、戦後、復興の最中。高級品である漆工芸品の仕事は少なく、会社勤めを始める。コウバイキャラメルという会社に入社。宣伝部に配属され全国を回った。「キャラメルを売る会社なんですけど、景品がすごかった。V9時代の巨人軍と提携していて、野球用品が当たるってのが売りだった。」 ■転 「景品が良すぎたのかな。」入社から4年後、会社は倒産。ここから、本格的に修行に入る。父親の仕事を手伝いながら、べっこうや象牙のアクセサリーを作る事から、蒔絵師の道に踏み出す。 ■漆 中央アジア高原原産、ウルシ科の落葉高木。この樹皮を傷つけて生漆を採取し、生成し使う。ここには「漆掻き職人」の仕事がある。 現在漆は9割が、中国、台湾、ベトナムなどの外国産。上質な国産品は東北で産出されている。 東北地方では20年程前から、国からの助成で漆の木を栽培しており、以前よりは上質な漆が手に入りやすくなったという。 ■技 蒔絵には3つの技法がある。 ・研ぎ出し蒔絵 ・高蒔絵 ・平蒔絵 そもそも漆は中国から伝わったものだが、漆を塗った器物に金銀粉や色粉を蒔きつけて絵文様を表す蒔絵は、日本が起源。奈良時代に始まったとされている。平安時代のものでは、遺体の保存のために漆を塗った棺が発掘されている。
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■時 研ぎ出し蒔絵などは、塗っては削り、塗っては削り、たいへんな手間がかかる。 生漆を塗って行く絵漆にするには、顔料や染料を混ぜ合わせて、作品によって自分で作らねばならない。 漆は大気乾燥できない。ある程度の湿度が必要なので、漆室(むろ:湿度を管理した部屋)に入れて数日乾かさなければならない。 ものによっては、制作に1年も必要になる。 |
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■苦 修業時代は自分の足で仕事を探し歩いたという。「父の時代は、近所に漆器屋さんがあり、座っていても仕事があった。戦後東京には、高級品の漆器を扱う店は少なくなり、アクセサリー作りの仕事をもらいにあちこち回りました。」 今では茶道具作りが主な仕事。 先生の奥様は茶道と華道の先生で、生徒さんも購入してくれる。注文がなくても、展覧会に出品する作品を作り続けている。「茶道具は四季に合わせたデザインをすればいいが、作品を作るときは、デザインを考えることがたいへん難しい。」 どの伝統工芸もそうだが、やはり仕事が少ない。アクセサリーの類の仕事は入るが、漆器となると東京では仕事が少ない。産地の輪島などでは町おこしとして伝統工芸を盛り上げているので仕事もある。ならば、継承者も育つ。東京では、継承して行こうという者さえいない。仕事がなければ当然のこと。芸大の漆工科を出ても、東京でこの道に進む者はいないという。 ■家 先生のお宅は、築40年の日本家屋。お話を伺った部屋からは、以前は富士山が見れたという。今ではビルが立ち並び、よく晴れた日であったが、雪化粧した富士を望むことはできなかった。あの部屋から見える景色の変化を、先生はどのような思いで見ていたのだろうか。庭には梅がほころび始めていた。春の日差しをうけながら、穏やかに話す先生のお顔に皺がはっきりと見えた。 辞去する際、玄関まで奥様も出てきて下さった。流石は茶道と華道の先生。美しい居住まいで、私の背筋も自然としゃんとした。 近代化の波に流されて行った、流されそうな伝統。もう一度、見つめ直したい。 |
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取材・文 三島 浩 |
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