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<<< まちを元気にする達人たちFILE061 藤井辰男 >>>
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東十条駅で降り、活気あふれる商店街を抜け、路地へ入る。麦茶、きな粉、香辛料、漬物関連商品及び食品添加物の製造、販売、富士食糧株式会社の藤井辰男専務を訪ねた。 ■少年時代 藤井専務は、1936年(昭和11年)2月21日、藤井家の長男として生まれる。生まれも育ちも北区滝野川の根っからの北区人。まず少年時代の話を伺った。 少年時代は、戦時中。小学校3年の時、父親の知り合いが暮らす山梨へ疎開する。 「渋滞情報で有名な中央自動車道の談合坂のもっと山の上。短期間ではありましたが、たいへんひもじい思いをしたのを覚えています。当時田舎に行けば、よそ者扱いをうけ、今で言ういじめにも合いました。そんな中で兄弟が助け合っていたと思います。食糧の配給があると、山を降りかなり離れたところまで、弟たちを背負って取りにいきました。今思えば、貴重な体験です。」 戦争が終わり、幸いにも戦災に遭わなかった滝野川の住まいに戻ることになる。 「戦争が終わって、勝った負けたということより、東京に戻れるということがうれしかったですね。」 当時は遊ぶものはなく、手製の道具で野原で野球をして楽しんだという。 ■病 中学2年生のとき、肋膜炎(胸膜が炎症によって、側胸部や背に痛みが起こる。結核の一歩手前。)にかかる。当時は薬もなく絶対安静が必要で、1年の留年を余儀なくされる。翌年の1学期から復学するが、今度は肋膜炎よりもさらに結核に近い肺浸潤を患う。その頃、ストレプトマイシンという新薬が登場するが、とても高価なものであった。父親の事業もうまくいっておらず、体を最優先に考え、学業をあきらめることとなる。その後、2年ほどの療養生活をおくる。 ■就職 父親が先代社長と小学校からの友人で、この会社、富士食糧に入り営業をやり始める。親しい間柄の先代社長が「元気になってきたら、いつまでも遊んでいるわけにもいかないし、事務の手伝いにでも顔を出せ。」とおっしゃってくださる。 それが昭和28年。「きちんと給料を出せば、毎日来てがんばるんだから、小遣いをやるから、体調の良いときだけ来い。」と言われ仕事を始める。 「体慣らしで行き始めて、今になってます。」 事務の手伝いといっても、中学を出ただけで、簿記もそろばんも出来ない。最初は荷札書きから始める。 先代社長の温かい、ありがたい言葉に応えるべく、仕事に取り組む。 「荷札を書くにも他の人に出来ないことをしなくては…」と考え、得意先の住所を覚える。 そんな向上心が、荷札書きをしながら、そろばんや通信教育での簿記の習得につながる。 ■急逝 昭和32年、父親が出張先でバイクの運転中にくも膜下出血で亡くなる。当時の会社は従業員10名ほどの小さい会社。父親の急逝で営業をやる人間がいなくなる。21歳の時、営業を父親から引き継ぐ。 藤井専務は5人兄弟の長男。家計を支えなければならない。 「長男だから何とかしなくてはという思いでした。遊ぶというような青春時代の思い出はありません。」 今はゴルフ、書道、ボディボード、社交ダンスと多趣味でいらしゃる。 「今が青春時代かもしれないです。」と粒粒辛苦を乗り越えてきた専務は、朗らかな表情で笑う。 ■現在の富士食糧 富士食糧の主力商品はきな粉と麦茶である。以前は香辛料やそば粉など多くの商品があった。 「いろいろなものを自社生産すると、安全性、衛生面も中途半端になってしまう。ならば、これだけはうちで作って行くという特徴付けが、今の時代は大事だと思う。」 麦茶やきな粉は付加価値の低い商品。関連商品をだしても、ベースとなるきな粉、麦茶自体がおいしくなければ生き残ってはいけないという。 「食品はおいしくて当たり前。機能性食品であってもおいしくなければ長続きしない。テレビの影響で流行ったものは一過性にすぎない。」 「価格で売った商品は、価格で対抗されてしまう。おいしさで売った商品は、お客様に指名買いしていただける。」 近年の健康食ブーム中、富士食糧には2種類のヒット商品がある。 「黒豆麦茶」と「黒ごまきな粉」 きな粉は他社に遅れをとった商品。きな粉はスーパーで1日1個しか売れない。陳列棚に空きがなかった。そこで他社との区別化を考える。専務が九州旅行中に土産物屋で見たものをヒントに、黒ごまきな粉を商品化する。パッケージも従来のものから一新。デザインも専務ご自身で考えたという。 「常々、よそにはない何を打ち出せるか考える。商品作りの基本です。」 「黒ごまきな粉」は口コミで人気が広がっている。
■社員教育 専務が社員の方によく言っているという言葉を紹介する。 「同じ麦茶を売っていくのには付加価値を付けなければならない。それと同じ。自分自身にも付加価値を付けろ。」 「どこへ行ってもヒントや参考になるものがある。常に問題意識を持て。」 「これからは、原価100円のものを120円で売る時代じゃない。原価のないものを売る時代。原価のないもの、それは智恵だ。」
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取材・文 三島 浩 |
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