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<<< まちを元気にする達人たちFILE063 坪根景保>>>
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墨田川を越えると足立区。神谷の水上バス乗り場の近くに住む戦後東京の生き字引、伝統工芸師、坪根景保さんを訪ねた。 ■長野に生まれて 昭和25年2月25日、長野県飯山市に生まれる。本名、坪根保。彫金師としては、景保の名を使う。職人の世界、特に金工の職人は、師匠から受け継ぐのは、技ばかりではない。師匠の名前の一字を受け継ぎ、技と名前をつなげて行くという。「私の師匠の名前は、塩本華景。景の字をもらいました。」 ■師事 師匠に師事したのは、昭和22年頃。東京から疎開し、終戦後も東京に戻らずにいた師匠を担任の先生に紹介され、見学に行ったことから始まる。「今で言うと水泳やピアノのように、習い事として教わりに行っていました。」 昭和25年、師匠が東京に戻る際に、一緒に上京、正式に弟子入りしたと言う。 「上京するその日、床屋で散髪していて、ラジオで朝鮮戦争勃発のニュースを聞きました。 それに東京はまだ焼け野原だと言うし、こんな時に東京に行くなんて馬鹿だと言われましたよ。」と笑う。 浅草でも目抜き通りを外れると、焼け土が堆く積み上げられていたという。そんな東京にきて、住み込みで10年修行。結婚と同時に独立する。 ■修行期間 「彫金の世界は3年やれば一人前になれるかわかる。だいたい10年の修行で独立と決まっていた」らしい。景保さんより前の世代は、10歳そこそこで弟子入りし、20歳には独立するものだったという。 ■彫金とは? ゴールドの金だけではなく、金属を彫る技術を彫金という。実演してもらった肉だしという技法は、「彫る」ではなく、「叩いて延ばす、寄せる」だった。鏨(たがね)という、これも金属製の棒を金属に当て槌で叩いて行く。
作品を見てもらえば、気の遠くなるような時間が必要なのが分かってもらえると思う。一枚の金属板を叩いて作るのである。
大まかに分けて5つの技法がある。 ・ 肉だし ・ 片切り ・ 象嵌 ・ 毛彫り
■時間のかかる仕事 先ほどの話の中の鏨。これも一つの作品を作るのに、その作品のためだけに何十本も作らなければならない。それも一本一本、刀鍛冶のような作業で。 ■後継者は… 現在お弟子さんはいない。伝統工芸全般、後継者の育成が難しいという。いくつかの理由を聞いた。 写真で紹介した肉だしの作品などは、完成までに1ヶ月以上かかる。ベルトのバックルは、いかほどか?なんと30万円なり。なかなか買い手がつくものではない。国会議員の方が買ったきり売れてないそうだ。 買い手の見る目がなくなってもいる。真贋が見分けられない。彫金ではなく、板金細工が氾濫している。以前、金の相場が高かった頃、作品の重量を聞かれたことがあるそうだ。本物を欲しがる人がいない。 修行に時間がかかる。3年修行を積んで見込みがなかった者は、その3年が無駄になってしまう。 昔は技術も財産だった。それゆえに親族か、弟子の中で一番優れた者が婿養子に入り、伝承してきたという。 「この道で生計を立てようとするのは、これからますます難しくなる。教えて欲しいと言われても、趣味でやるなら教えるが、そうでないなら断ってます。技術は伝えて行きたいが…」 なんとか伝え続けていけないものか。景保さんはもうすぐ72歳になる。笑い皺が印象的だった。取材に伺った日、春一番が吹いた。 |
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取材・文 三島 浩 |
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