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<<< まちを元気にする達人たちFILE067 中條 甲子雄>>>
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長野県松本市。大正14年1月6日生まれ。 昭和12年浮世絵の世界に足を踏み入れる。 弟子生活の始まり、と同時に摺師職人、中條甲子雄が誕生の出発でもある・・・ ■浮世絵の誕生 一般的に庶民の間に広く出回ることとなったのは、江戸時代。 それ以前には、法隆寺百万塔に書簡(巻物)として残っている記録としては、殿様の旗印を布に摺っていたらしい。 江戸時代に黄金期を迎えた背景には、商人の出入りが盛んになったこと。 瓦版としての役割、芝居の宣伝などに使われたらしい。 浮世絵に使用される和紙は、楮紙(こうぞし)と呼ばれ、製紙原料の中で最も強く良質といわれている。 楮紙をしようする理由は、何枚も紙に摺っては重ねる作業によって仕上がる浮世絵には紙の伸縮は致命的である。 その伸縮が無いのが唯一、楮紙である。 実際、しわになりにくく高級な三叉(みつまた)と呼ばれる高級和紙もあるが、これは一万円札などの紙幣や証紙など重要な書類に使われている。
■摺師とは 浮世絵は、絵師、彫師、そして摺師の3人の共同作業によって完成される技の結集である。 絵師は、薄い美濃紙にアウトラインだけのおおまかな線画を描く。 彫師は、それを版下絵とし版木に貼り付け、一本一本きめ細やかに線を彫る。 そして、摺師は薄い色から順に摺り始めます。作品にもよるが、だいたい20版近くもの版を重ねて摺り上げる。 機械ではない手作業にも関わらず、ズレはない。 それが、摺師の技であり職人たるものである。
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| ■摺師職人になったきっかけ 「時代だよ。今みたいにさぁ、フリーターになるとかそういうことが簡単に出来る時代じゃなかったからねぇ。だから、親が手に職をつけた方がいいんじゃないかって。」 と、中條先生は長年使われ続けた摺師の数々の道具に囲まれた場所に座って、淡々と語り始めた。 「職人の世界は大変だよ、実際のところ。特に、当たり前かもしれないけど弟子の時代は大変だったね。それは、今も同じことだと思うけどね。下積み時代と言うけれど、長いもんさ。これも、個人差はあるけどね。」 一気にここまで話すと、先生は少しばかりの間を置いて、「俺は人の3倍働いた」と言った。 「弟子」「師匠」「下積み」等の言葉は、今この時代に於ても耳慣れる言葉である。 『芸』『技』を習得する世界では使われる一般的な言葉であると同時に、一般庶民には決して理解し難い・・・し得ない意味を持つに違いない。 それらの言葉を全て吸収し消化した中條先生。また、浮世絵木版画の技術向上と後継者の育成に貢献し、平成13年には文化庁長官賞を受賞した。 ■この仕事の難しさ 自分自身しか頼ることが出来ないから、職人の世界は難しい。 しかし、三人の共同制作で一つの作品が出来上る浮世絵は、お互いを信頼しなければいい作品が出来ないのも確かである。 「仕事だからねぇ。難しいと言っても、そりゃ全般だなぁ。」と言いながら見せてくれたものが、薄い色から順番に仕上がって行く過程を一つの冊子にした葉書大くらいの大きさの現物。 それらは、主に学校の教員が生徒達に「浮世絵」が出来るまでを紹介するために手に入れたがる物らしい。 真っ白のページから始まり、徐々に色が加えられ、最終ページには立派な浮世絵が出現する。 その様は、ページをめくる度に魔法の世界に入り込んだ錯覚になった。 「魔法ですねぇ。」との言葉に、中條先生は笑ながら「魔法なんかじゃないよ。単純作業の繰り返しさ。誰だって習得すれば出来るものさ。」と。 そう。習得。それは中條先生自身の歴史でもある。摺師の道に入って60余年。さらりと言ってのけるこの台詞にこそ、習得するに必要だった年数が刻み込まれている。 数々の先生の作品を見せてもらいながら、さながら美術館と化した空間に完全に魅了された。 ■この仕事の魅力 中條先生の残した作品は数多いが、その中でも先生自身が誇りに感じることの一つに東山魁夷氏からの依頼(出版業界を通して)されたものがある。 何人かいる摺師職人の中で、中條先生に白羽の矢が立った。何故なら、100点以上の作品を作り上げた職人は中條先生以外いなかったのだ。 東山魁夷氏がこだわったのは、やはり仕上がりの色。その色に納得できず、何度も何度も摺り直しを頼まれた。校正には想像以上の時間と労力がかかり、5回目の校正を最後にこれ以上は出来ないと言い切ったという。 そして、5作品を並べ東山魁夷氏が選択したのは3回目の作品。 その時の東山魁夷氏の行動に、中條先生はいたく感動されたという。「ご苦労様でした。」と手をついて言ったという。 「あんな立派な人見たことが無いねぇ。」と昔を懐かしみながら首を振った。そして、「私はね、日本のトップの絵書きさんの仕事をしたんだから何の悔いもない。」と言い切った。 |
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取材・文 下瀬 文 |
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