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<<< まちを元気にする達人たちFILE076 川添 晴通>>
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■勘と自信とプライド 大正14年生まれの川添さんは、父親の後を継ぎ、二代目。15才から仕事場に入り、父の技を習得していった。「習得」とすると言っても、親切丁寧に事細かな技の手解きがあったわけではない。勘が勝負の職人技を、必死に盗んでいったのだった。 お客さまから反物を預かる。「こんな色に染めて欲しい」と言われる要望は、具体的な色の指定の場合もあれば、抽象的表現で色を指定されることもある。希望通りの色に染め上げるためのマニュアルや、染料配合の決まった数値があるわけではない。経験や研究から生まれた、彼自身の‘勘’で仕事をする。見本になる多種の色の載った資料片手に、それと照らし合わせて染めてゆくのだ。そんなイチカバチカみたいな仕事はビビってしまわないのだろうか、と私は思ってしまう。まして、お客様から委託された、とても大切な絹の反物。「すみませんでした。貴方のご希望通りの色に染められませんでした。本当にごめんなさい」で、済むはずがないのだから、100%の成功が当然でなければ成り立たない。川添さんは自信を持ってこうおっしゃった。「私はこれまでこの仕事に就いてから、一度も失敗をしたことがありません。お客様に謝罪で頭を下げたことが無いんです。120%の成功をして、お客様に染め上げた反物をお手元にお渡ししてきました」・・・唸る私がいた。カッコイイ!もう、言ってしまうと「すげ〜っ!!」とゆう感じである。「この仕事は、人様のものを委託加工する仕事なので、確かに気はつかいます。だからといって、恐る恐る仕事をしていたのではかえって変な仕事になる。だから、自分の経験と勘で、自信を持って染めるんです。自信と・・・プライドかな。それは私に限らず、他の職人でも同じなんじゃないですかね」と話して下さった。達人が達人と言われるわけは、このあたりの言葉に存在しているのではないだろうか・・・・。 ■「全工程、どこをとっても難しいです」 初端から私は川添さんの言葉に感銘を受けてしまい、『これはイカン!平常心をもって取材を続けなければ!』と己に言い聞かせ、作業場に案内していただき、実際に染めているところを見せてもらった。作業場は一見、学校の給食室みたいだった。大きな鍋みたいなものから湯気が立っていたり、流しの様な所があったり、調味料が入っているかの様に見える科学染料の入った壺が並んでいたり・・・。でも、給食のおばさん達はいなかった。寡黙に仕事をしていらっしゃる職人さん達が迎えて下さった。「よく言われるんですよ、給食室みたいだねって。お宅では何のお料理作ってらっしゃるんですか?って冗談で聞かれるんですよ」と川添さん。
ここで、東京無地染めの作業工程を簡単に紹介したい。
どの工程が一番苦労なさるところなんですか?の問いに、「全部です」と答えられた。全工程所要時間は、達人で約4時間くらいだそうだ。染色の時は特にそうだが、時間がかかればかかる程、「生地がいたむ」。より良い状態で完成品をお客様にお渡しするためには、無駄のない作業が大切。「一番早くご希望の色に染められる職人の仕事が、一番美しい反物をお客様にお返し出来るんです」とおっしゃる川添さんの言葉にも、彼の自信が表れていると感じた。「模様染と違うところとして、無地染は、一反全体をムラなく染めるところ。これはごまかしがきかないし、面積が広くなればなる程、本当に細心の注意を払います」。その言葉を伺い、乾燥室で伸ばして干してある反物を見せて頂いた時、意地の悪い私は、ムラがないか心の中でチェックした・・・、が、やっぱり無い。ムラなんて、無い。ただただ美しく、一反が見事に一色に染まっていた。私のチェックが「ムダ」だった。 ■ご趣味を伺ったところ・・・ 「趣味ですか?この仕事です」と即答だった。川添さんは、戦時中兵隊として、満州へ行ったり、またシベリア抑留の経験もしていらっしゃる。「引き揚げて、家に帰ってきたら、家も工場も丸焼けでした。食べていくためには、とにかく必死で仕事をするしかなっかた。親も姉弟も食べさせていかなくてはならない様な状態だったんです」。二人のお兄さんが早くに亡くなっておられたので、川添さんが事実上の長男だった。川添さんの腕に家族の命がかかっていた。「いい仕事が出来るようになれば、仕事も多く入ってくる。いい加減な仕事を、ただ多くやっていたのでは、だんだんとお客さんに仕事を任せて頂けなる。だから、いい仕事を素早くやれるようになる為、必死の努力をしたし、現在でもより良い仕事が出来るように研究しています。だから言ってしまえば、遊んでいる精神的余裕も無かったんですね。そして、今でもこの仕事に熱中しています」とおっしゃった。 ■民族衣である着物を無くしたくない 今回の取材でいろいろお話させて頂いたなか、川添さんが何度もおっしゃった言葉がある。「我々日本人の民族衣装は着物です。洋服の方が動きやすいからと、現在はほとんどの日本人が着物を着なくなってしまった。でも、はたして、本当に着物が動きづらいものかとゆうと、私はそうは思わない。帯を締めればシャンとするし、昔は着物でもお母さん達は普通にお勝手だってしていた。動きにくいなんてゆうのは、人間の横着な言葉だと思いますよ。日本人に一番似合うのは着物。その着物をどんどん着て欲しいし、廃れさせてはならないと思います。それは、この仕事をやっていく上での、私の使命感でもあります」 川添さんは約90分のインタビューの間、本当に熱く、この東京無地染に関するお話を語って下さった。私もそれに興味を持ち、惹き込まれ、どんどん質問をした。一心に仕事に徹してきた人の力強さ、みたいなものは、言葉からだけではなく、表情や所作からも溢れ出る。その事を私はあらためて知った様な気がする。私は川添さんに会って、楽しい時間と共に、大切な心の栄養も頂いたと感じている。感謝の気持ちでいっぱいだ。この場をかりて「ありがとうございました。着物について、私なりに今後考えていきます」
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取材・文 宮本 亜紀 |
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